代表セミナー風景 代表プロフィール 代表 矢場田 勲の経歴を紹介します。

カウンセラー専門の開業・集客コンサルタント

代表 矢場田 セミナー風景
  • 有限会社ライフビジョン 代表
  • 矢場田 勲 (やばた つとむ)
  • 1973年3月26日生まれ 京都市出身

 

 

 

 

 

 

【経歴・実績】

◆自然とやってくるカウンセラー集客の専門家

5年以上毎月100万達成している現役カウンセラー

◆新人カウンセラーに対して、「月10人以上のクライアント」から

 自動的に申し込みが発生する「集客の仕組み」をわかりやすく説明することが可能

◆毎月50万、100万を達成するカウンセラーが続出

 ◆初心者でも安定のセッションが連発できるカウンセリング起業講座も好評を得る

 

 

10代半ばから不登校や引きこもり、うつ病、対人恐怖といった精神疾患に悩まされていました。さらに難病指定の潰瘍性大腸炎を発症。

 

精神科医やカウンセラーのサポートを受けて、自らも試行錯誤を繰り返すことで心と体の病を20代半ばで克服。その経験を基に、カウンセラーとして独立開業しました。

その後5年以上に渡り、1対1のカウンセリングだけで毎月100万円を達成しています。

 

 

他の開業カウンセラーが集客面で苦戦していることを知り、自身の経験やノウハウを役立てたい思いから、カウンセラー専門のコンサルティング事業も開始しました。

安心してカウンセリングに集中できるように、自動的にクライアントから申し込みが発生する仕組み作りを提供しています。

 

現役の心理カウンセラーならではの、カユいところまで手が届くアドバイスや本人が気づいていない強みと魅力を最大限に引き出す手法を得意としています。

 

 

カウンセラーという職業は、世の中の環境を変える力、世界を変える力を持っていると信じています。

クライアントさんが救われると、その家族や周りに人達もポジティブな影響を受けます。たった一人の意識が変わることで、職場環境を変えることも可能なのです。

クライアントさんの変化により、何世代も続いていた負の世代間連鎖を止めることも可能になります。

 

 

そのためには、自動集客システムを開業後早々に作り上げて、存分にあなたが活躍できる体制を整えておくことが最優先事項になるわけです。

あなたはこんなところで、つまずいている場合ではありません。

 

社会貢献しながら、自己実現を果たせる開業カウンセラーになれるよう、全力で私はあなたをサポートしていきます。

 

  

【もう少し詳しいプロフィール】

 

カウンセラーであるあなたが成功を収めるためには、カウンセラー専門のコンサルタントである私の考え方を少しでも理解、共感していただくことが大切になります。

 

そもそもなぜ、私がカウンセラーという職業に就いたのか、失敗談やどのようにして苦境から脱したのか、そしてなぜコンサルタントになったのか、もう少しくわしくお伝えいたします。少々長くなりますが、興味のある方はぜひ読んでみてください。

 

 

  • 良い子を演じていた子供時代

 

私は幼少期の頃から、たえず親の目を気にしている子供でした。

できるだけ怒られないように親の様子を観察していたり、何も言っていないのに先回りして、親が喜びそうなことをしたりと、いわゆる典型的な「いい子」だったと思います。

小学校でも友達や先生の顔色をうかがいながら、波風が立たないように周囲に合わせていました。ニコニコしているだけで、自分の意見が全然言えなかったのです。

 

 

  • 対人緊張から不登校に・・・

 

他人に気遣いをするあまり、人との距離感がわからなくなり、10代半ばから対人緊張で悩み始めました。

皆がゲームや漫画を買っていた時に、私はお小遣いの中から「ストレス解消ができる」カセットテープを購入しているくらい、ストレスに悩まされていました。

 

そんなある時、気づいたことがありました。

周りのみんなが怒っているから自分も怒った顔を作り、

周りのみんなが笑っているから自分も無理やり笑顔を作る。

でも、自分の感情はほとんど揺れていないのです。

 

なんとか高校には入れたものの、ついにエネルギーが切れて2学期には不登校になってしまいました。毎朝腹痛に苦しみ、心臓がキリキリと突き刺すような痛みで、「心臓が突然止まるのではないか」という恐怖感に襲われ、夜は明け方まで眠れない状態でした。

そして、2年生になる春に退学。

 

 

  • 引きこもり、うつ病と診断される

 

人との関係も人生の目的も失ったことで、無気力状態になり、一歩も外へ出られない引きこもり状態になりました。昼夜逆転の生活に陥り、「自分は社会不適合者だ」と自責の念に駆られて、うつ病を発症。投薬が始まりました。

 

 

  • 難病指定の疾患に襲われる

 

21歳の蒸し暑い夏のことです。過剰な精神的ストレスや食習慣・生活習慣の乱れが原因で、潰瘍性大腸炎という難病を患いました。

小さい頃から体が弱く、病気がちだったことも影響があったのかもしれません。

医師からは一生治らないと宣告され、人生に絶望。

1日10回以上トイレに駆け込み、出血と痛みに耐える日々が終わることなく延々に続くのです。

「誰か殺してくれ」という気持ちと「なんとか楽になりたい」という気持ちがぶつかり合っていました。

 

 

  • 母からの長い長い手紙

 

人生に絶望し、自虐的にしかなれたかった時、自分のとって大きな転機が訪れたのです。

それは、母からの長い長い手紙でした。

 今の自分と同じ23歳で母親になったこと。

自分の生い立ち、自分の両親のこと、抱えていた悩み、不完全な自分、無我夢中だった子育てのこと、そして、ごめんなさいという気持ち・・・

 

こんなふうに、母の心情を知るのは初めてのことでした。涙が自然とあふれて、眠っていた感情が一気に交錯するかのようでした。

 

この手紙を読んで、親に対する思いに変化が現れました。

頭ではわかっていたはずなのに、親も完ぺきではない不完全な人間だということ。

親に完璧さを知らず知らずのうちに求めていたということに気づきました。

 

完璧ではない親に育てられた完璧ではない不完全な自分。

自分の親もまた完璧ではないそのまた親に育てられてきたということ。

親も「いっぱいいっぱいだったんだろうな・・・」

初めてそんな思いが浮かんできたのです。親への恨みの濃さが薄れていくのを実感しました。

それと同時に今までの膨大な悩みと恨みの時間は何だったのだろうかというむなしさも・・・

 

手紙で謝ってきた母。それを望んでいたはずの自分。

望みは叶ったはずなのに、なぜか心が晴れないのです。

自分が苦しんできた原因がわかって、その原因となっていた人がそれを認めてくれた。

ただ、それだけでした。

それだけで人生が一気に好転するようなことはありませんでした。

 

 

  • 未来に目を向け始めた

 

でも、たった一つだけ光が射していたのです。

過去ばかりに気をとられていた自分が、ほんの少しだけでも未来に目を向けられるようになってきたということです。

 

そして、幾多の葛藤の中で結局自分は「死にきれない」ことを感じていました。

「死ねないのならやれるところまでやってみよう」と、ようやく長い時間をかけて開き直ることができたのです。

まずは今できることからです。病気を改善するために、近隣の図書館に通いつめ、色々と民間療法を調べ始めました。

 

 

  • 心と体に良さそうなものは何でも取り入れた

 

運動療法、食事療法、腹式呼吸法、瞑想を毎日実践するようになりました。

かなりの試行錯誤の末、潰瘍性大腸炎を克服。その後、心の病の克服にも次々と成功しました。

初めて自分の意思で行動して、そして初めて大きな成果を手にしたのです。

この経験は自分にとって、計り知れない自信につながりました。

本当の意味で自分の人生が始まったと思える出来事でした。

 

この時、心の仕組みや潜在意識の活用次第で人生が大きく変化することに対して、多大な興味を覚えました。しかし、その時はカウンセラーという職業は憧れだけで、プロのカウンセラーになれるとは思ってもいませんでした。

 

 

  • 社会との接点を再び持ち始める

 

対人関係の苦手意識を克服するために短期間のアルバイトを始めました。

少しずつ自分の気持ちを他人に伝える練習もしていきました。失敗の連続でその度に落ち込みながらも、徐々に対人緊張を乗り越えていきました。

 

 

  • パートナーとの出会い

 

そして、私にとって大きかったのは、妻との出会いです。26歳の時です。

私の過去のすべてを平然と受け入れてくれる人で、スーッと心と体が癒されていきました。

私の方も不思議と彼女の過去や現在の悩みを自然に受け入れることができました。

 

その後、結婚するために、そして将来の独立開業を視野に入れて、新規開拓を学べる営業職につくことにしました。

飛び込みの営業をする傍ら、自腹でチラシ作成、ポスティングを実施し、集客テクニックを身につけていました。

 

 

  • 起業!まさかの周囲の猛反対

 

勤めていた会社を辞め、独立開業に踏み切る決心をしました。

しかし、思いもよらず、周囲からの猛反対を受けたのです。

「なぜ、今なの?」「考え直せないの?」「アホちゃう」と、親からも友人からも軽蔑される始末。

なぜか?

妻が妊娠中だったからです。

集客を実地で学んで、機は熟したと思っていたのは自分だけでした。

妻のお母さんからは半年で商売が軌道に乗らなければ再就職することを約束させられました。

 

 

  • カウンセラーではなく、足裏マッサージ業をオープン

 

「半年か・・・」

カウンセリング事業を半年で軌道に乗せる自信は正直ありませんでした。最低でも1年はかかると踏んでいました。

3日悩んで、路線変更を決断。焦る必要はないと判断し、難病克服の際に覚えた足裏マッサージで生計を立ててやろうと、切り替えたのです。

 

後々、この判断が正解だったと思っています。その時には気づいていなかったのですが、半年間、売上の目途が立たなければ、全財産を使い切っていた懐具合だったのです。半年と期限を切ってくれたお母さんには感謝です。

 

 

  • 楽勝だと思っていたが・・・

 

開業初月、3ヶ月契約でクーポン雑誌の広告を打つと、どんどん人は集まりました。この調子だと楽勝でお店の売上は軌道に乗ると確信しました。

しかし、リピートがゼロ・・・

余裕だった気持ちには、もう焦りしかありません。2ヶ月目も順調に新規客は集まるものの、やはりリピートがゼロ。

「広告の担当者は、もう少し続けてみないと結果はわからない」と言ってきたが、とてもリピートが生まれるような感覚はつかめませんでした。

真冬だったのに、冷や汗がどっと吹き出します。

クーポン雑誌を見る人は、常に安いお店を探して、常連客になることなく様々な店を渡り歩いているのです。

「なんて間抜けなんだ」

自分の不甲斐なさに嘆きながらも時間は待ってくれません。あと4ヶ月しかありません。

 

 

  • 生活費が消えていく恐怖

 

前職で自作のチラシをポスティングし、成功したことを思い出して、早速徹夜でチラシを作成。

毎日、近隣にポスティングしまくりました。しかし、反応がない。

改良して、再びポスティング。しかし、反応はない。

不安でなかなか寝付けない日々が続きます。売上がないばかりか、生活費がどんどん消えていきます。となりには、妻と生まれたばかりの娘が寝ています。

お金が減っていく恐怖。妻と子に申し訳なくて、悔しくて、情けなくて涙があふれてきます。

 

 

  • 凍えそうな真冬にポスティングの日々

 

6回目の手直し後、ようやく一本の予約が入りました。クーポン雑誌のように大幅な割引ではない料金で、初めての予約です。

そして、来られたお客様が施術後に次の予約をとってくれました。

初めてのリピートです。5ヶ月目に入っていました。残り1ヶ月半ほど。

次の日も新たな予約が入りました。

改良を重ねたチラシは手ごたえが十分ありました。そこで、地域密着情報紙にチラシを折り込み、一気に広告を拡大しました。これが失敗すれば、独立開業の夢はもろくも崩れ去ります。

約束の6ヶ月目。祈るような気持ちで折り込み当日を迎えました。

 

 

  • 運命の6ヶ月目

 

胃の痛くなるような心配は杞憂に終わりました。新規客が一気に増えました。

そして、新規客のおよそ半数が事前に用意していた回数券を購入してくれたのです。

5ヶ月目まで月10万円の売上が精いっぱいだったのが、一気に40万円を超えました。新規客獲得から、リピートに繋げるまでの流れがつながったのです。

お母さんも納得してくれたようです。

 

 

  • いよいよカウンセリングを開始 

 

そして、3年後、ついに念願だった心理カウンセリング業を始めました。

足裏マッサージ業は、チラシ以外にもWEBサイトの集客も順調でした。なので、カウンセリング業もすぐに軌道に乗るだろうと軽く思っていました。

足裏マッサージの顧客もいるので、そこからカウンセリングを受けてくれる人もいるだろうと期待していました。

 

 

  • 今までのお客様を失うことに・・・

 

しかし、私の見通しは甘かったのです。

カウンセリングをやり始めると、マッサージのお客様が去っていくのです。

「何やら怪しいことをやり始めた」と感じで受け取られました。客単価が上がるどころか、お客様を失うことになったのです。

 

マッサージとカウンセリングでは、顧客層が全く違ったわけです。

そこで、足裏マッサージとは別に新たにカウンセリング専用のWEBサイトをイチから作成しました。

結局、新規事業を立ち上げるのと労力は一緒でした。

 

 

  • 集客の必勝パターンを作り上げる

 

ネット広告を打ち、アクセス数と予約率、どのキーワードに反応があったかを毎朝計測し続けました。

広告を作り直し、WEBサイトの改良を重ね続け、1年間の試行錯誤の末、足裏マッサージ業と同じように必勝パターンを作り上げていったのです。

必勝パターンとは、これくらいの広告費を打てば、新規客が一定数予約を入れて、新規客の中からリピート客が一定数出てくるというパターンです。

この状態になったら、売上は完全に予測できるようになって事業が安定してくるのです。

集客システムが出来上がると、集客についてはあまり気を遣うことなくなります。数字をチェックするのみです。本来やりたかったカウンセリングに安心して集中できるようになるのです。

 

 

  • 安心してカウンセリングに集中する日々

 

それから数年間は、夢中でカウンセリングをする日々が続きました。クライアントの悩みに寄り添い、クライアントが望む幸せの形を見つけるお手伝いをすることにやりがいを感じていました。

そんな頃、同業者と話す機会がありました。

ありがたいことなのですが、夢中でカウンセリングをこなす日々が続いていたので、同業者とじっくり話すことがなかったのです。

 

 

  • カウンセラーという職業の衝撃の事実

 

その時の話は私にとって衝撃的でした。

 

カウンセリングを10年以上学んでいるけど、アルバイトの傍ら副業でカウンセリングをやっている人がいました。

あるいは、臨床心理士の資格を持っているのに就職ができない。独立開業したいけど、クライアントが全然集まらない。

「こんな料金で食べていけるんですか?」とクライアントに心配されてしまった方もいました。

 

以前、心理カウンセラーを養成する講座で講師の先生から言われた言葉がありました。

「こんな儲からない業界によくきましたね」

その時はその言葉の意味がピンときていませんでした。

しかし、実際に開業カウンセラー当事者から話を聴くことで、私は衝撃とともに、ようやくかつての講師の言葉を理解したのです。

 

 

  • カウンセラー専門のコンサルタントになろう

 

カウンセリングの勉強を十分にしてきて実力はあるのに、開業して活躍できないなんで、宝の持ち腐れです。この状況をなんとかしなければ、多くの悩んでいる人を救うことができない。

そう思った私は、カウンセラー専門のコンサルタントになることを決意したのです。

 

私自身、足裏マッサージ業を立ち上げた時、的確なアドバイスをしてくれる人がいたら、どんなに心強かったかと思います。そばにサポートしてくれる人がいたら、貴重なお金や時間を無駄にすることはなかったはずです。

 

 

  • 成功カウンセラーが増えると社会全体がポジティブになる

 

心の悩みを抱えている人にじっくり寄り添い、クライアント自身の力で幸せになれるように導けるカウンセラーさんを数多くサポートしたい。

多くの成功カウンセラーが現れると、より多くのクライアントさんが救われます。

クライアントさんが変われば、その周りもポジティブな影響を受けます。一人一人の意識が変わることで、より働きやすい職場環境を作ることも可能です。

家庭であれば、負の世代間連鎖を止めることも可能になります。

カウンセラーという職業は、世の中の環境を変える力、世界を変える力を持っているのです。あなたの力を最大限に活かして、多くの悩める人々を救っていく必要があるのです。

 

そのためには、安定的に自動で売り上げを上げられる仕組みをイチ早く作り上げて、カウンセリングに集中できる環境を作ることが開業当初、最優先事項になるわけです。

あなたはこんなところで、つまずいている場合ではありません。

 

開業カウンセラーとしてその他大勢のカウンセラーから抜け出し、成功カウンセラーとして活躍の場を広げてみたいと思っている方を私は全力でサポートしていきます。

 

私と一緒に世界を変えてみませんか?

 

 

 

 

 

 

 

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